未設定
10月 12, 2011

外国人が日本に長く居すぎた…と実感するとき


1. 山手線のホームで人波を左右に押し分けながらかいくぐり、電車に飛び乗り、ドアが閉まらないように手で押さえ、その間にかばんを電車に引っ張りこむ。その理由が、少なくともあと2分は電車が来ないためだとわかっているとき。
(外国では1時間にたった1本の電車が平気で遅れてくる。ひどいときは数日遅れる。)

2. ビルディングのような単語がいったい何音節あるかと思い悩むとき。
(英語ではBuildingが「Build+ing」の2音節であるのに対して、日本語は「ビ・ル・ディ・ン・グ」の5音節であることから)

3. 自動販売機で、何のためらいもなく紙幣を入れるとき。
(海外の自動販売機はお釣りがきっちり出てくる可能性は10分の1以下で、壊れている可能性は何十倍もあることから勇気がいる)

4. 外国人が電車に乗っているのを見て、「わおっ、ガイジンがいるっ」と思うとき。

5. 初めてのスキーで、新品のロシニョールの高性能なスキー板を持ち、エアロダイナミックスなスキーウェアとそれに色のマッチしたゴーグルを装着して登場し、雪かきをしながら転げ落ちていくとき。

6. 選挙車のスピーカーから騒音・爆音をたれ流されても、「ショーガナイ」と思うとき。
(欧米ではあれほどの騒音は違法なところが大半)

7. テレビ番組で一番いいのはコマーシャルだなと思うとき。

8. 抹茶アイスも悪くないなと思うようになったとき。

9. 信号の色のことで青か緑か揉めはじめ、あれは青だと思い始めるとき。
(日本人は青と緑の区別がつかないと思っている人もいる)

10. 写真撮影のときにピースサインをしてるとき。
(日本人だけが老若男女でやけに好むポーズ)

11. ガソリンスタンドで車から降りもせず、集団で押し寄せてくる店員がフロントガラスを拭いているのを、当然のことのようにただ待っているとき。

12. 自分の国に帰ってから、みんなと飲みに行って、全員のビールを注ぎ始めるとき。
(ビールを注いであげるなんてことはない)

13. 家が10平方メートルでも広いと思うとき。
(ほっとけ)

14. 会社の窓の外の景色が「一面コンクリートだらけ!」の代わりに、「意外と緑もある」とか思いはじめるとき。

15. 鳥は なく “cry”ものだと思うとき。
(英語では鳥は うたう “sing”)

16. 電話中にお辞儀している自分に気付くとき。

17. 自分の国に帰って、喫茶店で「アメリカン・コーヒー」を注文してしまうとき。

18. 母国の両親と電話中に父親に「どうしてぶつぶつと文句でこちらの話しをさえぎるのかね」と言われるとき。
(日本人は相手の話しが終る前に話し始めることで有名)

19. 母親と電話でしゃべっていると、「ゲンキってどういう意味?」と聞かれるとき。
(電話でゲンキと返事する癖がついてしまっている)

20. トラックがバックするときに、童謡を流していてもおかしいと思わないとき。

21. ビアガーデンが屋上にあっても不思議に思わなくなるとき。
(海外ではガーデンと呼ぶくらいなので本当の庭でやります)

22. バドワイザーを飲んでいると外国人受けがいいんじゃないかと思うとき。
(外国のビールも飲んでるよーと嬉しそうに強調しにくる日本人が多いらしい)

23. 英文学専攻がバカ女を形容するときのオブラートに包んだ言い方だと思うとき。
(英文学というと欧米ではシェークスピアなどの古典にも強く才女のイメージであるが、こちらで英文学科というとシェークスピアの一節も言える女が居ないらしい)

24. 納豆の美しい食べ方をマスターしたとき。

25. 缶コーヒーがおいしいと思い始めるとき。

26. 車の最初のオプションがTVセットでも不思議に思わないとき。

27. 夏に半そでを着始める日付が決まってると思うとき。

28. 赤の反対は白なんだと思うとき。

29. 高級なウィスキーのボトルを安っぽいバーテンダー相手にキープして帰っても心配しなくなるとき。

30. デザートだのフルーツだの独創的過ぎるものが、ランチのサンドイッチに入っていても別段驚かないとき。

31. 大事な年を平成や昭和の年号で覚え始めるとき。

32. 握手とお辞儀を同時にする芸術をマスターしたとき。

33. 人の家の玄関に頭だけ入れて留守かどうか確かめても大丈夫だと思うとき。

34. 医者から処方箋をもらうとき「これが白い錠剤、こちらが青い錠剤、これはピンクの粉末剤」と言う説明でもなんら不満に思わないとき。

35. バーモントカレーという存在のコンセプトに疑問を抱かなくなったとき。

36. どうでもよい商品に4重の包装紙が当たり前だと思うようになったとき。

37. 電車の同じ車両に外人数人で乗車すると調和がくずれるために落ち着かない気分になるとき。

38. 外国人の友人に必ず「日本滞在年数」を尋ねて種類分けし始めるとき。

39. 田んぼに囲まれた全く何もないとてつもないへんぴな場所で、飲み物の自販機を見つけても驚かず、電源がどこからきているのかも不思議に思わず、そのぽつんとした自販機がコーラを買ったあとにお礼を言ってくれることにも何も思わなくなったとき。
(海外で人気のない場所の自販機は盗難にあって当然)

40. 米の銘柄によって味が違うとか思い始めるとき。

41. JRやタクシー会社に27本ほど寄付したあとでも、まだ玄関には透明傘が溢れかえってるとき。

42. 同方向に走る2車線道路では、左側は駐車場だと思うとき。

43. ジューシーな最高の豚カツに一番合うのは、味もない千切りになった生のキャベツの山だと思い始めるとき。

44. 10月に半そでを着ている外人に向かって「寒くないの?」と聞き始めるとき。

45. 「ノー」を伝えるとき、鼻の上で手を左右に振るとき。

46. 店でクリスマスソングを聞いてもセンチメンタルな気分にならないとき。

47. 趣味は「ドライブ」と言い始めるとき。

48. 濡れた傘には店の入り口で配布しているコンドームが必要だと思うとき。

49. 12月の日曜日は全て忘年会の二日酔いの回復のために用意されていると思うとき。

50. クリスマスイブにケーキを買い始めるようになったとき。
(欧米ではケーキではなくクリスマス・プディングが主流)

51. 吐くまで飲むのを楽しむとき。

52. 胸の谷間を見て、うわっとか思うとき。

53. お昼の弁当は昨日の残りで、器がハローキティでも普通と思うとき。

54. ビール1缶の値段が1ケースの値段と同じことがあっても不思議に思わないとき。
(初めて知らない飲み屋に行くとショックを受けるのだと思われます)

55. 一つの会話につき3回ずつ謝罪している自分に気付くとき。

56. どんな小さな行為でも「がんばる」とか言い出すとき。

57. 片手チョップスタイルと連続お辞儀が混雑を通り抜ける手段だと思い始めるとき。

58. 買い物している間の30分間、車のエンジンをつけっぱなしにし始めるとき。

59. 外人の知り合いにまで血液型を聞き出すとき。

60. 「英語」と「英会話」の細かい差を見出すとき。

61. 自国に帰ったときにタクシーのドアが開くまで待ってしまうとき。

62. 阪神タイガースの試合チケットを買って六甲おろしの練習をするとき。

63. 外人だけが集まるパーティで、誰かが乾杯を言うのを待ってしまうとき。

64. 本屋に雑誌を読むために行き、読むだけ読んだら棚に戻しても疑問に思わないとき。
(海外の本屋は買うところで、立ち読みし放題ということがないのが普通)

65. 1個だけの袋詰めされたジャガイモを買い始めたとき。

66. 旅行のスーツケースの半分をお土産のスペースに使い始めるとき。

67. 外人がいっぱいのバーに行って危険を感じるとき。

68. 単語にアンダーラインを引くのに定規を出すとき。

69. 日本の何もかもがノーマルに思えるとき。

ABOUT DEATH.
  • 3つ目は、死についての話です
  • 私は17歳の時、こんな感じの言葉を本で読みました。「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい。そうすればいつかあなたが正しいとわかるはずです。」これには強烈な印象を受けました。それから33年間毎朝私は鏡に映る自分に問いかけてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だしたら今日やる予定のことは私は本当にやりたいことだろうか?」それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと私は「何かを変える必要がある」と自覚するわけです。
  • 自分がもうすぐ死ぬ状況を想像することは最も大切な方法です。私は人生で大きな決断をするときに随分と助けられてきました。なぜなら、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなど、ほとんど全てのものは…死に直面すれば吹き飛んでしまう程度のもので、そこに残るものだけが本当に大切なことなのです。自分もいつかは死ぬと思っていれば、何か失うのではかないかと危惧する必要はなくなるので、私の知る限りの最善策です。失うものは何もない。思うままに生きてはいけない理由はないのです。
  • 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。医師たちは私に、これはほぼ確実に治療ができない種類の癌であり、余命は3ヶ月から6ヶ月と言いました。そして家に帰ってやるべきことを済ませるよう助言しました。これは医師の世界では「死」を意味する言葉です。それは、子供たちに伝えた10年分のことを数カ月で済ませておけ、という意味です。それは、家族が心安らかに暮らせるよう全て引継ぎをしておけ、という意味です。それは、さよならを告げる、という意味です。
  • 私はその診断書を一日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方に生体検査を受けました。喉から内視鏡を入れ胃から腸に通してすい臓に針を刺して腫瘍の細胞を採取しました。私は鎮静状態でしたので、妻の話によると医師が顕微鏡で細胞を覗くと泣き出したそうです。というのは、すい臓ガンとしては珍しく手術で治せるタイプだと判明したからなんです。こうして手術を受け、ありがたいことに今も元気にです。
  • これは私がもっとも死に近づいた瞬間で、この先何10年かは、これ以上近い経験がないことを願います。こうした経験をしたこともあり、死というのが有用だが単に純粋に知的な概念だった頃よりも、私は多少は確信も持って言えます。
  • 誰も死にたいと思っている人はいません。天国に行きたくても、そこに行くために死にたい人はいません。それでいて、死は誰もが向かう終着点なのです。かつて死を逃れられた人はいない。それはそうあるべきだから。なぜなら「死」は「生」による唯一で最高の発明品だから。「死」は「生」のチェンジエージェントだから。つまり古いものが消え去り、新しいものに道を開ける働きです。いまの時点で、新しいものとは、君たちのことです。でもいつかは、君たちもだんだんと古くなり、消え去るのです。あまりにドラマチックな表現なのですが、それが真実なのです。
  • 君たちが持つ時間は限られている。人の人生に自分の時間を費やすことはありません。誰かが考えた結果に従って生きる必要もないのです。自分の内なる声が雑音に打ち消されないことです。そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従い、勇気を持って行動することです。心や直感というのは、君たちが本当に望んでいる姿を知っているのです。だから、それ以外のことは、全て二の次でも構わないのです。
ABOUT LOVE AND LOSS.
  • 2つ目は、愛と敗北についての話です。 
  • 自分が何をしたいのか人生の早い段階で見つけることができたことは幸運でした。実家の車庫でウォズとアップルを創業したのは、私が20歳の時でした。私たちは仕事に没頭し、10年間でアップルはたった2人の会社から4千人以上の従業員を抱える20億ドル企業に成長しました。私たちは最高傑作であるマッキントッシュを発表しましたが、そのたった1年後、30歳になってすぐに、私は会社をクビになってしまいました。自分が始めた会社を首になるなんて不思議ですが、こういうことなんです。アップルの成長にともなって、私は一緒に経営できる有能な人間を雇い最初の1年はうまくいっていました。しかし、やがて将来ビジョンについて意見が分かれ、仲たがいに終わったのです。取締役会は彼に味方し、私は30歳にして会社を去りました。まさに社会的に追放された感じでした。私の人生のすべてを注ぎこむものが消え去ったわけで、それは心をズタズタにされた状態になりました。
  • 数ヶ月は本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。自分が前世代の起業家の実績に傷をつけてしまい、手渡されたリレーのバトンを落としたように感じました。私はデイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスに会いひどい状態にしてしまったことをお詫びしようとしました。まさに社会的脱落者となりシリコンヴァレーから逃げ出そうと考えたほどです。しかし自分がやってきたことをまだ愛していることに少しづつ気づきました。アップルの退任劇があってもは私の気持ちは全く変わらなかったのです。私は会社で否定されても、私はまだ好きだったのです。だからもう一度やり直すことに決めたのです。
  • その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは、自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者の重圧が消え、再び初心者の気軽さが戻ってきたのです。あらゆるものに確信はもてなくなりましたが。おかげで、私の人生で最も創造的な時期を迎えることができたのです。
  • その後の5年間に、私はネクストという会社とピクサーという会社を設立しましたし、妻となった素敵な女性と恋に落ちました。ピクサーは世界初のコンピュータによるアニメーション映画「トイ・ストーリー」を創りました。いま世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。思いもしなかったのですが、ネクストがアップルに買収され私はアップルに復帰することになり、ネクストで開発した技術は現在アップル再生の中核的な役割を果たしています。さらには、ロレーヌと私は素晴らしい家庭を一緒に築いています。
  • ここで確かなのは私がアップルをクビになっていなかったら、こうした事は何も起こらなかったということです。それは大変苦い薬でしたが、患者には必要だったのでしょう。人生には頭をレンガで殴られる時があります。しかし信念を失わないこと。私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛しているからということに他なりません。君たちも自分が好きなことを見つけなければなりません。それは仕事でも恋愛でも同じこと。これから仕事が人生の大きな割合を占めるのだから、本当に満足を得たいのであれば進む道はただひとつ、それは自分が素晴らしいと信じる仕事をやること。さらに素晴らしい仕事をしたければ、好きなことを仕事にすること。もし見つからないなら探し続けること。落ち着かないこと。心の問題と同じで、見つかったときに分かるものですし、愛する仕事というのは、素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに自分を高めてくれるものです。だから探し続けること。落ち着いてはいけない。
ABOUT CONNECTING THE DOTS.
  • 最初は、点と点をつなぐ話です
  • 私はリード大学を6ヶ月で退学しましたが、本当に辞めるまで18ヶ月ほど大学に居残って授業を聴講していました。ではなぜ辞めることになったか?
  • その理由は私が生まれる前に遡ります。私の生みの母親は若い未婚の大学院生でしたので、彼女は私を養子に出すことを決めていたのです。彼女は育ての親は大学を出ているべきだと強く感じていたため、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることになっていました。ところが、私が生まれる直前に、本当に欲しいのは女の子だと。そういういきさつで、養子縁組を待っていた今の両親は夜中に「予想外に男の子が生まれたので欲しいですか?」という電話を受けたのです。彼らは「もちろん」と答えました。しかし、生みの母親も後で知ったことですが、母親は大学を出ていない、父親は高校も出ていませんでした。そこで、生みの母親は養子縁組の書類へのサインを拒みましたが、何ヶ月か経って、今の両親が将来私を大学に行かせると約束してくれたので、気持ちが整理できたようです。これが私の人生の出発点になったのです。
  • 17年後、実際に大学に入りましたが、私はあまり深く考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったので、労働者階級の親の収入のほどんどは大学の学費に使われていました。半年もすると、私はそこに何の価値も見出せなくなっていたのです。人生で何がやりたいのか私自身に考えがなかったですし、それを見つける手助けを大学がどうしてくれるか思いつきませんでした。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を使い果たしている。だから退学を決めたのです。それが全てうまく行く道だと信じて。もちろん当時はかなり怖かったです。ただ、いま振り返ると、これが人生で最良の決断だったのです。というのも、退学した時点で興味ない必修科目は受けなくてもよく、自分にとって面白そうな授業に集中できたからです。
  • 寮には自分の部屋もなく、夢を見れる状態ではありませんでした。夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、食費のためにコーラ瓶を店に返して5セント集めしたり、日曜夜はハーレクリシュナ寺院のご飯を食べに7マイル歩きました。これが私の楽しみでした。こうした自分の興味と直感に従うだけの多くの体験があとになって値段がつけられない価値に変わったのです。ひとつ具体的な話をしてみましょう。 
  • リード大学には、当時おそらく国内でも最高のカリグラフィ教育がありました。見渡せばキャンパスにはポスターから戸棚に貼るラベルまで美しい手書きのカリグラフィばかりだったのです。私は退学したのですから普通の授業はとる必要もないのでカリグラフィの授業を受けて手法を学ぶことにしたのです。私はそこでセリフやサンセリフの書体について習ったり文字と文字のスペースを変えていく概念についてつまり異なる文字のコンビネーション手法など素晴らしいフォントの作り方を学問として学びました。フォントは、美しく、歴史的にも、芸術的にも、科学で把握できないほどの緻密さでしたのでそれは私にとって魅力的な発見となったのです。 
  • フォントは、人生の役立つという期待すらありませんでした。しかし、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する時にその知識が役に立ち、マックの設計に組み込むことにしました。こうして初めて美しいフォントを持つコンピュータが誕生したのです。もし私が大学であのコースを寄り道していなかったら、マックには複数の書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるマネに過ぎないのでこうしたパソコンがいま世界に存在しないかもしれません。もし私が大学を退学していなかったら、あのカリグラフィの授業に寄り道することはなかったしパソコンには素晴らしいフォント機能がないかもしれない。もちろん大学にいた頃の私には、未来を見据えて点と点をつなげることはできませんでした。しかし10年後に振り返えると、とてもハッキリ見えることなんです。
  • もう一度言います。未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。